鹿児島 薩摩が昔、栄えていた理由

鹿児島が明治維新時に、なぜ発展していたのかをふと疑問に思った。電車、飛行機もなく、東京(江戸)への移動、物販は今よりも困難を極めるはずである。

商品の差別化
先日、鹿児島に帰省して、薩摩藩の島津斉彬の実績を今さらながらに知った。
大砲、蒸気船、紡績、ガラス、写真、電信の研究、開発、農具改良、教育制度の見直し等を実施したらしい。
これで、日本においていち早く工業化に成功し、他の地域が生産する商品の差別化につながっている。

立地の悪さの克服
鎖国のため、海外には商品を販売できなかったため、商品の販売は自ずと、国内、特に江戸がターゲットとなる。ここで問題となるのが、立地の悪さである。江戸時代においては、大量の荷物を運ぶ場合は、陸路より海路がよく使われていたようだ。当然と言えば当然で、車も鉄道もない時代で、陸路で物を運ぶとなったら、人力か馬くらいしかなく、海路であれば、大きな船を利用して大量の荷物を運べるわけである。となると、車が運搬の主流である現在と比べ、蒸気船等の最新物流技術も保有していた鹿児島は立地的な欠点があまりなかったのではなかろうか。

これらのことから、明治維新時に鹿児島は発展していたのだと考えられる。

明治維新後
明治維新後は、発展が鈍化してしまったのか、その面影はない・・・
どうやら、西南戦争で荒廃してしまったようで、後の加納久宜知事が立て直しを行ったようだ。

鹿児島が明治維新の頃のまま、研究開発を行っていれば、一大工業地になっていたのではなかろうかとも思う。島津斉彬が藩主となったのが1850年くらいだから、2011年現在、たかだか160年程度なのであるが。

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